2020年6月号

<目次>

ファインダー                  鶴田成美

移民の肖像                   松本浩治

ポルトガル語ワンポイントレッスン   リリアン・トミヤマ

開業医のひとりごと               秋山一誠

カメロー万歳                  白洲太郎

ブラジル版百人一語               岸和田仁

クラッキ列伝                  下薗昌記

ブラジル緑の歳時記               田中規子

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issuu.comで紙媒体で発行したものをご覧いただけます。

ここか上の画像をクリック。

 
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最近肌寒くなってきた。

 

コロナの関係で、カメラ片手に散歩へ出かけ、

気が向くままにシャッターを切ることもなくなった。

 

なんの変哲もない日常と、他愛のない友人たちとの会話。

 

ポカポカする雰囲気が恋しいので、

ポカポカする写真で日向ぼっこのあの温もりを思い出す。

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日本文化伝承に尽力した小川晄子(おがわてるこ)さん

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 小原流生け花ロンドリーナ支部(ACIOR)の支部長をはじめ、茶道、謡など、ブラジル国内で日本文化伝承に尽力してきた小川晄子さん(82、宮城県出身は、「自分が教えたことを基本に、オリジナルのものを作っていってほしい」と、後進に望みを託す。

 小川さんの父親は、先祖代々続いてきた西本願寺の僧侶で、最期は東京の築地で若い僧侶を育てていたという。

 地元、宮城県の白石(しろいし)高校を卒業後、第2次世界大戦で被害者となった浮浪児の世話をするため仙台市内の中央児童相談所で奉仕活動を2年ほど続けていたた小川さんは、1950年から宮城県立の知的障害者施設で8年間働いた。

 戦前、戦後にかけて三味線、長唄などの音曲(おんぎょく)にも携わってきた小川さんが、小原流生け花に触れたのは48年。

「自分で振り返ってみると、皆、素晴らしい先生方に出会えました」

と微笑む。

 ブラジルに渡るきっかけをつくってくれたのが、母親の妹。父親とは対照的に東本願寺に関係していた叔母から「ブラジルで日本文化を広めてほしい」と言われ、58年3月「あめりか丸」で単身、神戸港を出航した。

「思春期に仙台で仏教のご高名な先生方にお会いしていたので、ブラジル行きには特に迷いもなく、『独りで生まれ、独りで死んでいく』覚悟でした」

と小川さん。

 渡伯に際して、花や茶の道具類を大箱に18箱と大量に持参した。

 叔母のつてでロンドリーナの東本願寺の世話になっていた小川さんは渡伯当時、周りの要望に応じて寺や文協関係者に生け花を教授。その頃、生け花そのものが珍しかったが、親から日本文化について嫌というほど聞かされていた地元の日系2世層にとって、生け花は「憧れの的」だったという。

 66年9月に小原流生け花ロンドリーナ支部が正式に認可・発足し、30人の門下生から活動が始まった。小川さんはこの時から、ブラジル国内での日本文化伝承の活動を本格的に開始。ロンドリーナをはじめとするパラナ州のみならず、リオ・グランデ・ド・スル州など遠方地での出張教授も実施し、日本からの来客やイベント、世界で開催される花展があるたびに各地を飛びまわった。

「自分たちで考えて創り出すこと。何をやるにしても最も意義のあることをしたい、との思いが強かったと思います」

 75年5月、待望の小原流生け花センターをロンドリーナ市内に落成させたが、小川さんにとっては「清水の舞台から飛び降りたような気持ちだった」という。当時、生け花活動はロンドリーナが拠点だったが、クリチバでも出張教授を行い、順調に進んでいた。「ロンドリーナは生産地帯で、クリチバは消費地帯。遊び事は消費地帯でないと伸びないというのが世の常で、センター建設は小原流創立当時からの総意でしたが、正直、ロンドリーナに建てるのは辛かった」と、小川さんは当時の心境を振り返る。

 こうした活動が認められ、86年6月にはロンドリーナ市から名誉市民章も受章した。

 生け花をはじめとする日本文化伝承活動を続け、独身を貫いてきた小川さんは、「今は花をやる方々の生き方も考え方も違い、ブラジル人の門下生が多くなりました」としながらも、「私が教えたことを基本に、それぞれのオリジナルのものを作ってほしい」との思いを強くしている。

(2007年12月取材、年齢は当時のもの)

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買いだめする、買い込む、まとめ買いしておく

 

 パンデミックがひどくなっていって、ブラジルや世界のニュースを観ると悲しくなりますね。読者のみなさんとご家族がご健康でありますように。

 ニュースと言えば、今現在のブラジル人の消費に関する興味深い調査結果を見ました。EMBRAPAによると、自粛で消費が伸びているのはチーズ(17%増)、バター(16%増)、コンデンスミルク(14%増)、クリーム(13%増)とのことです。4月23日から5月3日にかけて5万人以上の人々を対象に行われた調

査です。

 コンデンスミルクがこのランキングにあるのはとても興味深くブラジルらしいと思いませんか?日本人を対象とした調査ならコンデンスミルクがこのランキングに登場することは100%あり得ないのではないでしょうか。

 買い物について話していますので、「買いだめをする」「買い込む」「まとめ買いをする」をポルトガル語でどう言うのか説明しましょう。

 動詞「estocar」を使います。

 語尾が「-ar」の動詞なので、変化には何の謎もありません。

 例を見ていきましょう。

 

 Na quarentena, o que você está estocando?

 (自粛で何を買い込んでいますか?)

 

 É melhor estocar máscara e luva descartável também.

 (使い捨てマスクと手袋も買いだめしといたほうがいいですよ)

 

 Eu não estou estocando comida porque moro perto do supermercado.

 (スーパーマーケットの近くに住んでいるので食べ物のまとめ買いはしていません)

 

 Não há problemas de abastecimento em São Paulo.

 Por isso, não precisamos estocar muito.

 (サンパウロの物資補給は問題がありません。したがって、たくさん買いだめしておく必要はありません)

 今月もお読みいただきありがとうございました。この期間に、忍耐、信心、感謝の気持ちを蓄えて(estocar)おくのをお忘れなく。「感謝の気持ち(gratidão)」と言えば、今の時期に関するオプラ・ウィンフリーのポッドキャストを聞いた時彼女が言っていたのは、これだけの不確実性・恐怖・不安があったとしても、私たちはシンプルな物事に対して感謝の気持ちを感じることを学んでいくのだということです。最後に彼女は言いました、人生の中で何度息できることに感謝したことがあったか、と。

 

 ご自愛ください。

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ちょっとした風邪じゃあなかったの? 

 

 このコラムの24人の読者様、皆さんこのコロナご時勢で生き延びておられますか。外出規制で人と会食したりする社会活動がなくなってますので、筆者は本当に1人でブツブツひとりごとしている気分です。1か月前の同じ時期に原稿を書いていた時、ブラジルでは新型コロナウイルス感染症死者数が2,741人でした。現在数日でそのぐらいの死者が出ていて、今20,047人です。これって、前回号で懸念していた爆発的感染ですよね。新型コロナウイルス感染症ってちょっとした風邪で重症化する人もいる程度のものではなかったのですかね?

『そう。なかったのです。この2万人以上の死者は65日間で積み上げた数字です。』

 医療界が明らかに今回の感染症を過小評価していたことは間違いないでしょう。一部の人は肺炎になり、またその一部が重篤化して死亡してしまうというのが3月の時点での認識でした。重篤化するのは高齢者であり、40歳代以下はまず軽症、あるいは症状すら出ないと。なので日本では有名人が死亡するまでは若者が「自分達は大丈夫だから」と出歩き、社会問題になっていましたね。

『ところが高齢者だけが重症化するのではないというのがわかってきた。ブラジルなどでも集中治療室行きになった患者の半数が20代から50代という事実なども出てきた。』

 

 新型も含め、コロナウイルスは呼吸器系の粘膜から感染する病原体です。なので、風邪の症状(発熱、倦怠感、咳、喉の痛み、鼻水、鼻詰まり、痰等)プラス肺炎と考えられたのです。しかし当初より肺炎の画像(註1)の軽度病変の割には倦怠感や息切れなどの症状が酷く(註2)、新型コロナウイルス感染の謎とされていました。症例が増えるにつれ、呼吸器系の症状のみではなく、他にもいろんな症状が出る疾患であることが判明してきています。血栓の様な血液系症状、嘔吐や下痢や腹痛といった消化器症状、発疹や霜焼け様の皮膚症状、味覚や聴覚の喪失、腎機能の低下、頭痛や失神など神経症状、筋肉痛、等、多岐にわたる症状が出現可能です。

『新型コロナは勃発からまだ5か月しか経っていないので治療薬やワクチンなどが決定していない。しかしヒトの身体にどの様な病変を起こす仕組みかは判明してきた。』

 ウイルスは非細胞性生物と呼ばれ、自己繁殖できないのが特徴です。従って、宿主の細胞の中に入り、その細胞の繁殖機能を使用しないと増殖できません。ここで重要なのが、「細胞の中に入る」で、細胞の表面、つまり細胞膜に存在する「受容体」と呼ばれるたんぱく質が関与します。それぞれのウイルスには標的にする「標的細胞」があり、この受容体の有無がウイルス感染の鍵となります。新型コロナウイルスはACE2受容体(註3)と呼ばれる受容体からヒトの細胞に入ることが判ってきました。ACE2受容体は肺の細胞にあるので、そこから人体に侵入するわけです。ところがACE2受容体は肺の細胞に特異的にあるのではなく、血管、腎臓、心臓、腸などにも存在します。ということは、呼吸器系の細胞から侵入して増殖したウイルスは血流に放出され、体中を巡り肺以外の臓器に症状を起こすということになります。

『血管も細胞でできているので、そのACE2受容体から侵入し「血管内皮炎」を起こす。炎症とは必ず「腫脹」つまり「腫れ」が起きるので(註4)血管の内側が細まり、血流が悪くなる。これによって臓器に血流が行き渡らなくなり、酸素不足や栄養不足になってしまう。とてつもない倦怠感は肺機能の低下以前にこのメカニズムの酸素不足によって出現するものではないか?血管内皮炎以外に腸の細胞がダメージを受けるから、消化器症状が出たり、腎臓の細胞に侵入したら腎臓機能の低下が起こるのだろう。また、血管内皮炎のため、発疹の症状がでる。』

 

 さらにまだ仕組みは判っていないのですが、「血栓」と「免疫の暴走」が発出します。血栓は血の塊であり、人体が出血の危機に対する反応です。新型コロナの場合、出血が起こっているわけではないのでどうして血栓になるのかわかりません。しかし結果としては血管が詰まり、その血管が灌流している臓器がダメージを受けます。大きい血管で起これば、例えば脳梗塞もありえるわけです。霜焼け症状もこの血栓の症状の一つということになります。免疫の暴走は別名「サイトカインストーム」(註5)と呼ばれています。サイトカインは体内の免疫に使われる物質で、免疫の働きを調整します。免疫は外敵に対して働きますが、何故か新型コロナはサイトカインを乱造させ、自分自身の臓器に損傷を起こしてしまいます。これは一度に全身で起こる現象なので、一気に多臓器不全に至ってしまい、死亡例の大きな原因です。

『新型コロナ感染症の仕組みは、特に重篤化したケースはつまり、呼吸器系の細胞のACE2受容体から侵入ウイルスが侵入し、血中に入り、血管内皮細胞のACE2受容体から侵入し、血流を悪化させ臓器に損傷を起こす。そのうち、サイトカインストームが起こり、血栓もでき、多臓器不全に至って死亡してしまうということですな。とにかくウイルスを呼吸器系の細胞に到達させないのが一番重要!その為のマスク使用、頻繁な手洗い、鼻や口の粘膜をいじらない、だということをご理解いただきたい。』

 

 ACE2受容体が新型コロナの病理に関与していることは間違いないと考えます。リスクが高くなる糖尿病や高血圧症はこの受容体がこれら疾患と関係があり、既に患っている方は感染しない予防が重要です。また、喫煙者も高リスクであることが判明しており(註6)、喫煙がACE2受容体の発現を著しく増加させる事実と関係あるわけですね。糖尿病や高血圧症の原因は必ずしも取り除くことはできませんが、喫煙は「禁煙する」といった「後戻り」できる行為です。喫煙者は是非禁煙を考えるよい機会ではないですか(註7)?

 診療所のホームページにブラジル・サンパウロの現状をコメントした文章を記載してますので、併せてご覧いただければ幸いです。

 

註1:CT画像で左右均等でない「すりガラス状」の所見が見られる。レントゲン撮影では変化はほとんど現れない。

註2:「かつて人生で経験したことがない様な酷い倦怠感や息切れ」と罹患者は言っています。

註3:ACE2=Angiotensin Convertin Enzyme type 2。アンジオテンシン変換酵素2。

註4:炎症の特徴は「発赤」「熱感」「疼痛」「腫脹」「機能障害」のセット。

註5:英語でcytokine storm。

註6:中国での死亡例の8割近くが喫煙者であった報告があります。

註7:新型タバコに変えても同じですよ。

 

秋山一誠(あきやまかずせい)

サンパウロで開業(一般内科、漢方内科、予防医学科)。この連載に関するお問い合わせ、ご意見は hitorigoto@kazusei.med.br までどうぞ。診療所のホームページ www.akiyama.med.br では過去の「開業医のひとりごと」を閲覧いただけます。

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第51回 実録小説『幻のユーチューバー、しらすたろう』


 2020年4月下旬。

 世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスの勢いは、弱まるどころか更なる拡大の様相を呈していた。感染者数は急カーブを描いて上昇し、それに伴って死者数も確実に数字を伸ばしている。このウイルスが終息するのは一体いつのことになるのか?地球人全体の関心事といっても過言ではなく、それほどに『新型"マザーファッキン"コロナ野郎』の影響は甚大であった。問題はウイルスだけにとどまらず、隔離生活を続けることによる様々な弊害が人々を苦しめている。太郎はニュースを見るたびにため息をついていたが、自治体が地域住民限定のfeira livre(市場)の開催を許可したことによって、約2週間ぶりに仕事に復帰することになった。幸いなことに、かれの住む町にはまだ感染者は確認されておらず、最低限度の経済活動は行える状況にあったのである。

 現場に到着した太郎とちゃぎのは、普段とはまったく違うフェイラの様子にしばし呆然としていた。通常であれば、目にする風景すべてが屋台でぎっしりと埋め尽くされているはずであるのに、見渡す限りがらーんとしている。野菜や果物のバハカはそれなりに充実しているが、雑貨系の屋台は皆無といってよい。売り手も買い手も地元住民限定のフェイラなので、服や雑貨を売るカメローのほとんどが外部の人間であったことに、太郎は今さらながら気がついた。野菜や果物、パステウ以外の商品で出店しているのは、海賊版DVD販売のファビオと、安物アクセサリーの太郎たちのみであった。

 スペースはあり余っているので、適当なところにバハカを設営した。早朝ということもあるが、人通りはまばらで閑散とした雰囲気である。来てみたはいいものの、まったく売れる気がしない。それでも久しぶりのフェイラに太郎の胸は躍った。なんとしてでも一か月分の家賃くらいは稼ぎたいところである。いつものようにドーナツを買い、見るともなしに周囲を観察していると、マスク姿の人々がちらほらと散見せられる。1か月前はマスクなど誰も着用していなかったのに、ここにきて急に市民権を獲得したかのようである。市の職員や警察も、外部からの闖入者の有無に目を光らせているようで、忙しなく歩き回っていた。厳戒態勢とまでは行かぬが、物々しさは伝わってくる。

 それにしてもなんという世の中になってしまったのであろうか。当たり前にできることができなくなり、仕事もできずに路頭に迷う者が続出しているのである。一体、誰がこのような事態を予想しただろうか。まさに一寸先は闇なのであって、その闇のなかでいかにたくましく生き抜いていくかが今後の課題となる。

 しかしどのようにたくましく生き抜いていけばよいのか?家にこもっていても金が転がり込むシステムを構築するために、皆、目の色を変えて頑張っているようだが、やっぱりあれか、オンラインコンテンツビジネスとやらか?世間ではこの自粛期間を利用して、YouTubeデビューを果たす輩が続出しているというが、あれはどうなんだ?猫も杓子もユーチューブ。そんな流行りに乗るほどミーハーじゃないが、時間は腐るほどあるし、いっちょおれもやったろうかしらん?と、閑古鳥が鳴くバハカの前で、太郎は急に思いついたのである。

 しかしどういった動画を上げればいいのだろうか。普段の生活でユーチューブを見ることなどまったくないし、どういう仕組みになっているのかもよく知らない。だが、人気がでれば金が稼げるという話は聞いていて、もしそれが本当なら素敵なことである。自粛生活でユーチューブやオンラインレッスン系の需要が増えているというニュースはよく目にしていたし、すでに出遅れている感もあるが、とりあえず始めてみるに如くはない。思い立ったが吉日である。気のすすまない様子のちゃぎのに喝をいれ、とりあえず手持ちのアイフォンで撮影をしてみることにした。

 では何を撮るのか?という疑問が湧いたが、もちろんおれ自身だろう。と、太郎は結論づけた。太陽の国ブラジルで奮闘する日本人路上起業家のしらすたろう。悪くはない響きである。まともな神経の持ち主なら、わざわざブラジルに来てまで露天商をやろうとはしないだろう。そういう意味で、すでに差別化には成功している。ならば、おれが働いてる姿を撮るだけで価値があるはずだ。そう確信した太郎は、コンセプトをちゃぎのに説明し、早速撮影を開始したのである。

 その日のフェイラは早朝こそ売れる気配がまったくしなかったが、日が高く昇ってくるにつれて、人通りも増してきた。そして意外なことに売れ始めたのである。まったくの僥倖であるとともに、さすがはおれだな。と、自画自賛の白洲太郎である。この調子でいけば、YouTubeで人気がでるのもあっという間かもしれない。やはりモノが違うよ、おれは。太郎は自信満々に言い放ったが、ちゃぎのは気の毒そうな顔をして黙っていた。

 それから数日後。

 慣れない携帯アプリを駆使して、撮影した動画を編集した太郎は処女作をWEB上にアップロードした。チャンネル名は子どもでも読めるように『しらすたろう』に設定。いよいよ伝説の幕開けである。YouTubeで収益化するには、チャンネル登録者が1000人以上、且つ、過去12か月間の動画総再生時間が4000時間以上という条件があるらしい。そのハードルがどれくらいのレベルなのかはまるで想像がつかなかったが、しらすたろうという魅力的なキャラクターの前では造作もないことのように思えた。世界がついに、しらすたろうを知る。想像するだけで胸の高鳴りが抑えきれない太郎は、興奮のあまり一睡もできずに翌朝を迎えたのである。

 恒例の早朝坂道トレーニングを終えた太郎は、ちゃぎのが用意してくれた朝食を平らげると、早速ノートパソコンを開いた。昨夜アップロードした動画の反響を確かめようと思ったのである。いきなりバズることはないだろうが、それなりに再生されていることは間違いなく、視聴者もこぞってチャンネル登録をしているはずである。シンデレラのような気持ちで、YouTubeのアカウントをクリックした太郎は吃驚した。驚きのあまり、開いた口がふさがらないほどであった。なんとなれば再生回数はたったの5回。それもアップロード後に自分でチェックした回数が5回であることを考えると、他人には一切視聴されていない計算になる。血の気がひく思いで、チャンネル登録者数の欄に目をやると、そこにはまっさらな雪のように『0』という数字が輝いていた。何度見直しても『ゼロ』なのである。アップロードから12時間以上経っているにも関わらず、世界でしらすたろうを知ったものは一人もいなかったのであった。

 太郎は急いでちゃぎのを呼びつけ、チャンネル登録をするように促した。身内の協力により、ようやく『チャンネル登録者1名』と相成ったわけだが、どうなってんだよYouTube!?と、怒り心頭の白洲太郎である。

 動物を撮っただけの映像や、子どもがおもちゃで遊んでいるだけの動画が何万回も再生されているのに、おれのはたったの5回?もうちょっとシャンとせえよ、ユーチューブ!ナメとんのかワレ?速攻でやめたるぞコラ!と叫びそうになった太郎であったが、ちゃぎのの慰めにより、ようやく落ち着きを取り戻した。

 世界の誰にも知られていない男、しらすたろう。

 今後の動画活動は未定であるが、興味のある方は一度でいいから覗いてやってほしい。

 幻のユーチューバー、しらすたろうの超弱小チャンネルを。

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フェルナンダ・モンテネグロ

(女優、リオ出身、1929年生まれ)

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「ある日、当時家で読んでいた新聞”A Noite”を抱えて父が仕事から戻ってきた。その一面のトップ記事のタイトルが二つの単語『PARIS CAIU(パリ陥落)』だった。この時の題字の大きさは以前見たこともないようなデカ文字だった。遠いヨーロッパでの恐ろしい戦争のことだったが、私たちの家庭環境ではあの悲劇がなぜ起きたのかは理解しがたいものであった。1942年2月に

なると、ブラジル商船3隻がドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没したため、我が国ブラジルも国際紛争の渦中に入ることになった。空襲を想定した停電の事前訓練に参加したり、配給が始まったものの基礎食料品でもいくつも欠品するようになり、穀物類や肉類の多くが欧州戦線に送られ、私たちは朝4時起床で行列に並んで配給品を受け取る日々となった。(中略)

 この国難の時、隣人の一人が、「家の近くにイタリア語を喋りイタリア音楽を聴く“第五列家族”がいる」と当局に密告した。国の裏切者=非国民だというわけだ。私の祖母は警察に呼ばれたことで錯乱状態に陥ってしまった。祖父母たちは二つの言語を話していた。政治警察は私の父に「イタリア語を話すことは禁止」と厳命したため、イタリア人移民とポルトガル移民の息子である、ブラジル人の彼、ヴィクトリーノ・ピニェイロ・エステヴェス・ダ・シルバは自分の両親を監視・教導し、さらに警察へのインフォーマントという役回り務めることになったのだ。そんなこともあって、祖母はブラジルに帰化した。」

 

 1998年のベルリン映画祭でグランプリ金熊賞を受賞した『セントラル・ステーション』(ヴァルテル・サーレス監督)は、何度見ても感動を新たにする名映画作品だ。リオのセントラル駅で孤児となったジョズエ少年が、同駅で知り合った元教師の代筆屋ドーラに付き添われてノルデスチへ父親捜しの旅に出かける、という社会派ロードムービーだが、日本を含む世界中の観客の涙腺を刺激することになった。この悪徳代筆屋ドーラ役を好演したフェルナンダ・モンテネグロは最優秀女優賞に輝いたことで世界中に知られることになったが、彼女はガルシア・マルケス作品の映画化『コレラの時代の愛』(2008年)では主人公の母親役としていぶし銀の演技を見せていた。

 半世紀にわたって演劇界、映画界、テレビ界で活躍してきたこの大ベテラン女優(1929年生まれ)の出発点は、1960~70年代の小劇場活動だ。医学部を中退して演劇家となったフェルナンド・トーヘスと結婚したフェルナンダは、劇団を結成して小劇場活動に邁進、経済的には金欠病状態が続いたもののモリエール、シェークスピア、チェーホフ、バーナード・ショーらのヨーロッパ古典劇から、ネルソン・ロドリゲス、ミロー・フェルナンデスといったブラジル現代劇作家の社会派劇まで演じていく。だが、時代は軍政下。理不尽な検閲で自由な演劇活動は弾圧され、脅迫電話は数知れずかかってくるし、1979年にはサンパウロで宿泊先にピストルの弾が撃ち込まれたこともあった。

 1980年代以降はテレビ(グローボ局)の数多くのノヴェーラに出演するようになったため、普通のブラジル人にはTV女優としての認知度が高いフェルナンダ(本名:アルレッチ・ピニェイロ・トーヘス)だが、昨年刊行された自伝的回想録『プロローグ、芝居、エピローグ、回想』は、ブラジル現代演劇史の当事者による素敵な回想録であると同時にブラジル近現代史の生き証人による同時代証言でもある。

 まず自分のルーツについて、「私の父の家族はポルトガルの農民で、母のほうは(イタリア)サルデーニャ島の羊飼い」、「ほとんど中世的な農民層の子孫が私だ」と記してから、子供時代の日々を回想してゆく。冒頭に引用したのがその書き出し部分だ。

 第二次大戦の枢軸国側(ドイツ、イタリア、日本)の移民に対する締め付けが強化される1942年から45年にかけての時期だが、日系社会にとっては、1941年7月全ての邦字新聞が強制停刊、42年1月日伯国交断絶、42年9月日本人・日系人の強制立ち退き、と受難の時代であった。一部の知識人層を除けば、移民一世の多くはポルトガル語情報を理解できなかったため、日本語情報の途絶が日系社会にもたらした不安と動揺は計り知れないものであった。これが、終戦直後に日系社会を分断することになる「勝ち組」「負け組」抗争の誘因となったのだ。

 イタリア系三世で「中世的な農民層の子孫」を自称するフェルナンダのファミリー史の事例を読むと、こうした複数の移民とその家族の歴史そのものがブラジル現代史、いや世界史の一角を成していることを再確認することになる。

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~ 第128回 ジョゼ・カルロス・セローン ~

 名選手、名監督ならずーー。現役時代の華やかな実績が、指揮官にとって「成功へのパスポート」とならないのがサッカー界の常である。

 ジョゼ・カルロス・セローン。サンパウロFCではブラジル代表に近づいたこともあるクラッキは、監督としてドサ廻りを強いられた悲運の男だった。

 ブラジル全土がマラカナンの悲劇に泣いた直後の1950年10月、サンパウロ市内に生を受けたセローンは、ジャバクアラ区でサッカーに興じながら成長した。

 細身で小柄な黒人少年は草サッカーで頭角を現し、当然のようにプロサッカー選手を夢見ていた。コリンチャンスの下部組織の試験で人生最初の挫折を味わった15歳の少年に、思わぬチャンスが巡ってきた。

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​ サッカー仲間だったカルロンとジェラウジーニョは当時サンパウロFCの下部組織でプレーしていたが、セローンにサンパウロFCのテストを受けることを勧めたのだ。 サッカー選手としての成功街道の入り口に立ったセローンは1969年にはアルゼンチン人の名将、ホセ・ポイのもとでU-20時代にサンパウロ州選手権で優勝。そして1970年にはブラジルサッカー史に残る司令塔、ジェルソンが負傷したことでトップチームでチャンスを得る。1969年から1977年までプレーしたサンパウロFCでは261試合に出場し、28得点。その数字もさることながら、「小さな蟻」と評された小柄な黒人プレーヤーの持ち味はその万能性だった。右サイドの攻撃的MFが本職だが、サンパウロFCではボランチや左右のウイング、そしてある時にはセンターフォワードまでこなして見せた。

 セローンのこだわりは「大切なことは先発の11人に名を連ねていること」。

 サンパウロ州選抜にも選ばれ、国内屈指のMFとして評価されていたセローンはザガーロが率いた1974年のワールドカップ西ドイツ大会のメンバー入りに近づいたが無念の負傷でセレソンには縁がなかった。

 現役引退後、サンパウロFCなど数々のクラブを率いながらも、名監督としての肩書きを得ることはなかったセローン。2012年にはJリーグのガンバ大阪でクラブ史上初のブラジル人監督に就任するものの、開幕から公式戦5連敗の体たらくでスピード解任。この年、ガンバ大阪はクラブ史上初の降格の憂き目をみている。

 サントス時代のペレと試合前に撮影した2ショットを誇らしげに日本の記者らに見せていたセローンだったが、「迷将」として日本を追われている。

 その後もブラジルで弱小クラブを率いたセローンは2020年3月、サンパウロ州選手権2部を戦うセルタンジーニョの監督を解任されるのだ。

 69歳にしてなお、サッカーへの情熱を失っていないセローンだが、恐らく監督として華やかなステージに返り咲くことはないはずだ。ただ、モルンビースタジアムのピッチ上でペレと渡り合った「小さな蟻」の功績がかすむことは永遠にない。