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2021年1月号 vol.175

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画像をクリックするとissuu.comのPDF版がご覧いただけます。

目次

ファインダー

鶴田成美

移民の肖像

 黒木慧(くろきけい)さん

松本浩治

ポルトガル語ワンポイントレッスン

 黒いダイヤモンド

リリアン・トミヤマ

カメロー万歳

 とても似合いのカップルだったのに

白洲太郎

クラッキ列伝

 マラドーナ

下薗昌記

ブラジル緑の歳時記

 グアプルブ

田中規子

開業医のひとりごと

 汚染、感染、伝染のちがいは?

秋山一誠

せきらら難民レポート

 イエメン共和国

おおうらともこ

簡単おいしい!ブラジルレシピ

 マンジャール・バイアーナ

目次

幻の創刊準備号

​(2006年6月号)

Kindleで復刊

​2020年7月号

​2020年8月号

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初日の出を見て「と、年神様が君臨されたぞ!」なんて思う人が日本にいないように、形だけ残った風習はどの国でもある。

ブラジルでは波を7回飛んで、花を海に投げこんで…。例年どおり去年の年越しも世界中で何億人もの人が何かを願い何かを行ったことだろう。

しかし現実では立てた計画は実行されず、目標も達成できず、沢山の人が命を落とし、いくつもの夢と願いが破り捨てられ一年が終わった。

そこでその風習はただの迷信だ、子供騙しだと言い観察者になるのか、それとも引き寄せの法則を信じてより一層力を入れた行為者になるのか…はたまた特に何も思わず何も感じず、というかそもそも考えたことなどないと生きていくのか…。

 

あなたの一年はどう終わり、どう始まったのだろうか。何かを願ったのだろうか。

 

-Carpe Diem-どうか持てる希望がなくとも時を摘めますように。

鶴田成美(つるたなるみ)

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写真・文 松本浩治

コチア青年第1陣の黒木慧(くろき・けい)さん

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 「コチア青年」第1陣(1次1回生)として1955年にブラジルに渡った黒木慧さん(86)は、ブラジル到着時にコチア産業組合を創設した故・下元健吉(しももと・けんきち)氏(高知県出身)から直接訓辞を受けた経験を持つ、残り少ないコチア青年の一人だ。サンパウロ州バルゼン・グランデに入植してから、65年以上が経った現在もなお、同地域で暮らしている。

 黒木さんは1934年10月に8人兄弟の次男として宮崎県日向(ひゅうが)市で生まれ、青年期には自身が主体となって農業生産活動を行っていた。しかし、第2次世界大戦後の食糧難の中、「米が滅多に食べられず、唐芋(からいも=サツマイモ)ばかり食べていた」時代、55年2月に父親を亡くし、地元の新聞記事を見て、コチア青年としてブラジルに行くことを決意した。

 黒木さんの記憶によると、コチア青年の申し込みは55年2月で、合格通知が同年4月ごろに届いたという。また、6月末頃に事前研修が約1週間あり、南部地域は宮崎県、北部地域は福島県でそれぞれ実施されたそうだ。黒木さんは地元宮崎県の高鍋(たかなべ)練習農場で事前研修を受けた際、下元氏の片腕で、当時、コチア産業組合理事長だった山下亀一(かめいち)氏がブラジルの生活や事前情報を話してくれたとし、そのことが「非常に助かった」ことを覚えている。さらに、ブラジル出発直前の10日間ほどは、兵庫県神戸市の移民収容所(現・海外移住と文化の交流センター)でも研修した。

 55年8月4日に神戸港を出航した「あめりか丸」には総勢800人が乗船し、そのうちの109人がコチア青年だった。同年9月15日にサントス港に到着した黒木さんたちを、当時のコチア産業組合移民課長だった山中弘(ひろし)氏が出迎え、コチア青年たちはバスに分乗して、その日のうちにサンパウロ市近郊モイニョ・ベーリョの宿舎へと移動。黒木さんは移動中、「サンパウロの街の灯りが強く、明るかった」ことを記憶している。また、その日は「寒い日」で、一行がモイニョ・ベーリョに到着したのは、すでに辺りが暗くなった夜だった。着いてすぐに腹ごしらえとなり、青年たちの到着を首を長くして待っていた下元氏は、「ネズミ色だったか、黒だったかのオーバーを着て」(黒木さん)、その日は「今日はもう遅いから。皆さんの顔だけを見に来た」と言い、翌日、改めて出直して青年たちへの訓辞を同地で行ったという。

 下元氏は翌日の訓辞で青年たちを歓迎しつつも、「日本から来た青年はアプレゲール(「戦後派」の意味で、戦前の物の考え方にとらわれずに行動した若い人を指す)の傾向があり、気の緩みがある。学校の学問の経験ではなく、実地の経験がモノをいう」と戒めた。また、同氏は一つの例として、昔、高知の殿様が、息子にオランダで医学を勉強させたエピソードを披露。その息子が船でオランダに渡った際、付き添いの者が息子の世話をし、数年間、異国で勉強して高知に帰ったら診療所を開設するように日本で進んだ医学を広めようと思っていたという。ところが、帰国の際に息子たちは思わぬ台風の被害に遭い、命は助かったものの、その影響でせっかく書きためた書類がすべて海に流された。オランダで勉強した書類を頼りにしていた息子に対して、その付き添いの者が「心配しなくていい。あなたがオランダで勉強して得た医学の知識も実習も、私が全部見てきました。自分がその知識を頭に入れているので、2人で協同して診療所を開けましょう」と諭したそうだ。下元氏は訓辞で、学問の知識そのものよりも、実地が役に立ったということを力説。さらに、コチア青年に対し、「(コチア青年制度が)成功するか否かは、君たちの頑張りにかかっている」と激励したという。その訓辞を聞いた黒木さんは当時、「えらい(たいそうな)説教だな」と率直に感じたが、現在も当時の訓辞は印象に残っているそうだ。

 黒木さんは、生前の下元氏と1対1で話したことはなかったが、同氏の印象について「やはり、初対面では顔付きからして恐いという思いがあったが、自分(下元氏)が言い出し始めたことには責任感が強かった」と振り返った。

松本浩治(まつもとこうじ)

移民
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リリアン・トミヤマ

黒いダイヤモンド

 レオニダス・ダ・シルバLeônidas da Silvaは20世紀前半のブラジルサッカー界で最も重要な選手のひとりです。1938年のワールドカップではMVPにして得点王でした。その才能から「Diamante Negro(黒いダイヤモンド)」と呼ばれました。

 この年、チョコレートメーカーのラクタLactaはレオニダス・ダ・シルバに敬意を表して人気商品のひとつの商品名を変更することにしました。「Chocolate ao Leite com crocante Lacta(ナッツ入りミルクチョコレート)」が「Diamante Negro(黒いダイヤモンド)」に変わったのです。ブラジルスポーツマーケティングの先駆けとなったのでした。

 このチョコレートは今でもあり、ブラジルで最も売れるチョコレートバーのひとつです。ラクタ社によると、全国のお菓子売上の約4%を占めるとのことです。

 食べてみたければほとんどのスーパーで売っていますのでお買い求め下さい。

 アフリカ系ブラジル人にとって彼の成功は、選手たちの働きを発表する大きなメディアがない時代の誇りでした。

 スポーツ記者やスポーツ史研究者にとって黒いダイヤモンドは、プレーの優雅さや繊細さによってスーツとネクタイでプレーしているようだったと記述されています。ペレと同じレベルの凄さだったとのことです。

 ところで、レベル(grau=度数)の語源をご存知でしょうか?

 おそらく、経済に関するニュースでこの単語をよく目にすると思います。「grau de investimento」といった表現で。英語にすると「investment grade(投資適格格付け)」ですね。

 「grau」はラテン語の「gradus」から来ていて、「目盛り上の位置」を意味します。英語の「grade」もこのラテン語から来ています。

 ですから、この単語「grau」に出会って意味がわからない場合は、頭の中で英語の「grade」に置き換えてみて下さい。たいていそれで意味がわかるでしょう。

<例>

Grau de investimento = Investment Grade

Alto grau de inteligência = A High Grade of Intelligence

 

Grau de automação = Grade of automation

 

 今月もお読みいただきありがとうございました。2021年がみなさんにとって喜びと成就に満ちた一年となりますように。ブラジルの作家カルロス・ドゥルモンCarlos Drummondが言っていますが、何をするかというリストを作るのはだめで、どんな新年にしたいか心の中で思うだけにしなさいとのことです。新年はいつも私たちの中で眠っていて、私たちの仕事は目覚めさせ、この年を望んでいたようなものに、一度も実行する勇気の持てなかったものにすることなのです。

Não precisa
fazer lista de boas intenções
para arquivá-las na gaveta.

(....)

Para ganhar um Ano Novo
que mereça este nome,
você, meu caro, tem de merecê-lo,
tem de fazê-lo novo, eu sei que não é fácil,
mas tente, experimente, consciente.
É dentro de você que o Ano Novo
cochila e espera desde sempre.

(in: Receita de Ano Novo)

良いことをしようと一覧表を作って

引き出しにしまっておく

必要はない

(中略)

その名に値する新年を

得るためには

友よ、あなたがその名に値しなければいけない

新しいものにするのだ、難しいのはわかっている

でも、意識してためしてみるのだ

あなたの中で新年は

うとうとしながらずっと待っている

(「新年のレシピ」より)

リリアン・トミヤマ(Lilian Tomyama)

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日本ブラジル比較文化論

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しらすたろう

第58回 実録小説『とてもお似合いのカップルだったのに』

 2020年2月。カーニバルを数日後に控えたある日のことである。

 

 白洲太郎が近所のスーパーに向かって歩いていると、プレフェイトゥーラ(市役所)の関連施設の入り口に、ひとりの女性が佇んでいた。伊達メガネをかけているため、すぐに誰とは知れなかったが、その整った顔立ちには見覚えがある。歩きながら考えていたが、スーパーに到着する頃には、彼女の名前を思い出すことができた。数か月前、元恋人に実の姉を撃たれてしまったヒチエリである。事件後、一度も姿を見かけることはなかったが、あれは間違いなく彼女本人であった。濃厚な化粧を施しつつも、その美貌はいまだに健在で、腰まで垂らした長い黒髪が印象的である。太郎は買物カゴを手に取りながら、昔のことを思い出していた。

 

 ヒチエリのことを知ったのは2011年の年越しフェスタである。当時ぎりぎり20代だった太郎は、酒をガブ飲みしながら手当たり次第にナンパをしていた。その中のターゲットのひとりが、ヒチエリだったのである。

 

 午前4時を過ぎても、あたりにはサムシングを求める若者たちがうじゃうじゃしている。ほとんどの者が泥酔していて、混沌とした様相を呈していた。フェスタ仕様に着飾ったブラジレイラたちの美しさには目を見張るものがあり、太郎は中学生のような性の昂ぶりをもて余していたのである。

 

 ヒチエリをひと目見た瞬間、「まぶいじゃん」と太郎は思った。実際、当時のヒチエリは現在よりも数倍まぶかったのである。ブラジル娘がもっとも輝く年代は10代半ばから後半であるが、当時の彼女はまさに全盛期だったといえる。その溢れんばかりのオーラに、かれは立ちくらみを起こすほどであった。

 

 とりあえず話しかけるしかない。太郎が意を決して近づいていくと、「ちょっと待ったぁー!!」とばかりに、ひとりの男が割り込んできた。

「ジャパ、この娘はオレんだぜ」

と、言うが早いか、太郎の目の前で熱烈なディープキスを始めたのである。唇を吸いあう生々しいサウンドが耳朶にまとわりつき、かれは呆然とその場に立ち尽くした。実際、この男がヒチエリの彼氏であり、のちに銃器使用による傷害事件で逮捕されることになるシンヨだったのである。しかも太郎はこの男と面識があった。シンヨは太郎の住む家の持ち主であるネイのいとこで、一度紹介されたことがあったのである。当時、彼は二十歳になるかならぬかの若者で、怪我を理由にプロサッカーチームの下部組織を退団し、故郷に帰ってきたところであった。ネイの付き添いで太郎の家に現れたシンヨは、ピアスなどの商品を手に取っては、投げ捨てるような扱いを繰り返す。彼に悪気はなく、単純にぞんざいな性格によるものであろうことはわかっていたが、見ていて気持ちのよいものではない。このときから、太郎はシンヨに対してあまりいい印象をもっていなかったのである。

 

 極めつけが、この眼前でのディープキスであった。付き合っているのだから問題はないし、ヒチエリに対する執着心などまるでない太郎であったが、その他者に見せつけるような濃厚な接吻が、シンヨの底知れぬ嫉妬心を顕しているようで気味が悪かったのである。

 

 どうせすぐに別れるだろうという周囲の予想を裏切って、2人の交際は続いた。シンヨは現役時代に貯めた金でトラックを購入し、運送業を開始。町を一定期間離れては、戻ってくるというようなことを繰り返していたのである。2人を町で見かけるたびに、「まだ付き合ってたのか」と驚く太郎であったが、同時にシンヨのことを見直してもいた。プレイボーイ気質な彼のことである。女をとっかえひっかえしている場面は想像できても、ひとりの女性と真剣に付き合う姿はイメージしにくい。「意外とまともなヤツだったのかな」と思っていた矢先に例の事件が発生したので、太郎は仰天したのであった。

 2019年7月。事件当日である。

 白洲太郎とかれの妻になる予定のちゃぎのは、お決まりのスーパーへと向かって歩いていた。2018年5月にオープンした、わが町が誇る大型スーパー『Casa Da Carne』にはほぼ毎日通いつめている。娯楽のない田舎町にとって、大型スーパーはアミューズメントパークのようなものである。太郎とちゃぎのは外出すれば、ほぼ必ず『Casa Da Carne』に顔を出していた。その日もいつもの道順をたどって目的地へと向かっていたが、道中で出会う人々の様子がどうもおかしいのである。悲痛な顔をしている者もいれば、興奮の面持ちでまくしたてている者もいる。ただならぬ雰囲気を感じとった太郎が、立ち話をしている連中の声に耳をすませていると、

「撃ったんだよ! で、顔と肩に弾が当たったんだ! 撃ちやがったんだよ、マジで!!」

というようなことを言っている。詳細はわからぬが、何か物騒な事件が起きたらしい。気になりつつも、腹が減っていたため、そのときはすぐに忘れてしまった。

 

 夕方、地元のニュースサイトを見て太郎は吃驚した。昼間の噂話の真相が綴られていたからである。

 

 被害者はルジアニという女性で、ヒチエリの実姉である。彼女は『Casa Da Carne』の近くにある小さなブティックで働いていたが、昼前にシンヨが現れ、「ヒチエリに会わせろ」と迫った。このときすでにシンヨとヒチエリの関係は終わっていたのである。あとで知ったことだが、2人はこの数年間、くっついたり離れたりを繰り返していたらしい。最終通告をつきつけたのはヒチエリだが、未練をもつのはいつだって男の方である。シンヨは元恋人を諦めきれず、ストーカーと化していたのだ。

 

 そこでどのような口論があったのかはわからない。しかし自分の要求を拒否され、激昂したシンヨは持参してきた拳銃をルジアニに向け、発砲した。合計4発。そのすべてがルジアニの身体をえぐり、あたりは蜂の巣をつついたような大騒ぎとなったのである。太郎とちゃぎのが『Casa Da Carne』で買い物をしたのは事件が起きてから2時間ほどあとのことだった。さすがに野次馬は解散していたが、事件の『余韻』のような雰囲気は漂っていて、その噂話が太郎の耳に入ったというわけである。

 

 それにしてもなんという事件が起きてしまったのだろうか。近しい人間というわけではないが、やはり知り人が起こした事件というのは一種、独特の感慨がある。シンヨが銃をもっていたことについては容易に理解できた。彼はcaminhoneiroである。旅の道中、様々な危険に見舞われるので、護身用に所持しているのだ。トラックの運ちゃんは大体もっていて、彼らに言わせれば、「強盗に襲われたとき、自分の身を守れるのは自分だけだ」ということになるらしい。まるでアメリカ市民のようなことを言っているが、それだけブラジルの犯罪率も高いということなのである。

 シンヨがいつ出所してくるのかはわからない。以前、エミソンなんちゃらという男が痴情のもつれにより、ピリゲッチのマリアを刺殺した事件のことを書いたが、エミソンなんちゃらなど一年も経たずに出所してきた。一体ブラジルの司法はどうなっているのか? やったもん勝ちの世の中じゃ、やられっぱなしの被害者は浮かばれない。理不尽な犯罪を心の底から憎む太郎は、ぶつけようのない怒りを感じていたが、出所してきたエミソンも、数か月後には何者かに殺されてしまったのである。因果は…応報したのであろうか?

 ルジアニは一命を取りとめたが、右目を失明し、さらに右腕の動きも制限される障害者となってしまった。妹の身代わりといえばドラマ仕立てになるが、遭わなくてもいい災害に巻き込まれてしまった感は否めない。今、どういう気持ちでいるのだろう。そして自分の代わりに障害者となってしまった姉に対して、ヒチエリはどんな心の傷を負ってしまったのだろう。

 さすがの太郎も胸が苦しくなった。自分もいつ理不尽な目に遭うかわからない。そういう意味では他人事ではなかったからである。

 

 2011年の年越しフェスタ。

 

 見せつけるようにディープキスをしていた2人の姿が太郎の瞼に浮かんでいた。

 

 それから8年の間に、何がどのようにしてこうなってしまったのか。

 

 あの頃、あのとき。

 

 2人はとてもお似合いのカップルだったのにーー。

しらすたろう

カメロー
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下薗昌記

第135回 ディエゴ・マラドーナ

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 2020年11月25日、サッカー界の巨星が突然、この世を去った。

 フォーリャ・デ・サンパウロは一面の大見出しで「ディエゴ・アルマンド・マラドーナ死去」と報じ、グローボは「最も人間らしい神」と見出しをつけた。

 

 アルゼンチン代表では1990年のワールドカップイタリア大会でブラジルを絶望のどん底に突き落とし、王様ペレとはしばしば、「史上最高の選手」をテーマに比較されてきたマラドーナ。

 

 拙稿「クラッキ列伝」はこれまで一貫してブラジル人選手をテーマに書き記してきたが、天に召されたーいや、天に帰ったのだと信じたいーアルゼンチンの大天才は国籍の枠組みを超えた存在である。

 

 ブラジル人のジャーナリストがコメンテーターとして出演するスポーツ番組にマラドーナが着たアルゼンチン代表のユニフォームを着て出演し、敬意を示したかと思えば、グレミオを率いるレナト・ガウショもコパ・リベルタドーレスの一戦でマラドーナの名が刻まれたアルゼンチン代表のユニフォームを着て指揮。サッカー王国でも、その早すぎる死に様々な形で弔意が評されたのだ。

 

 かつてペレがマラカナンの悲劇に涙する父親に対して、自らがブラジルを優勝させると誓った逸話が残っているが、幼きマラドーナもまた、口にした言葉を実現しているのだ。

 

「僕には二つの夢がある。ワールドカップに出場すること。そしてワールドカップで優勝することさ」

 

 マラドーナは1960年、ブエノスアイレス州のラヌースで生を受けた。貧民街の真っ只中で育ったマラドーナだったが、サッカーの神は縮れっ毛の小柄な男児に飛びっきりの才能を与えていた。

 

 15歳でアルヘンティノス・ジュニオルスの一員としてプロの世界に飛び込んだマラドーナが最初にワールドカップを戦ったのは1982年のスペイン大会だ。しかし、2次リーグで対戦したブラジルに1対3で敗れ、マラドーナはバチスタに腹蹴りを入れて退場処分。しかし、4年後、気まぐれな天才はかつてペレが王様の座を確かにしたアステカの地で、その王位を継承するのだ。

 

 1986年のメキシコ大会はまさに「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのためのワールドカップ」だった。準々決勝のイングランド戦では「神の手」ゴールで先制点を奪い、その直後には伝説の5人抜き。フォークランド紛争で敗れたイングランドに対して見せた鮮烈な2得点によって母国で単なるサッカー選手を超えた存在へと昇華するのだ。

 

 そして1990年のイタリア大会では決勝トーナメント1回戦でブラジルと対戦。8年前に若さを露呈した左利きの天才は、たったワンプレーでブラジルを沈めて見せた。

 

 ブラジルに一方的に攻め立てられ、クロスバーやポストにシュートが当たり続け運だけで持ちこたえていたはずのアルゼンチンだったが、後半35分にマラドーナが輝きを見せる。

 

 ハーフライン近くからドゥンガら4人をかわしてカニージャにラストパス。絶妙のお膳立てでブラジルに勝ち切ったがマラドーナは利き足ではない右足でDFの股を抜く必殺パスを繰り出したのだ。

 

 イタリア大会では準優勝に終わり、自身にとって4度目となる1994年のアメリカ大会ではグループステージのナイジェリア戦で電光石火のパスワークからマラドーナがスーパーゴール。ゴール後、テレビカメラに向かって狂ったように吠えたてたアルゼンチンの背番号10は、直後にドーピングが判明し、大会から追放。破天荒なクラッキはワールドカップの大舞台に思わぬ形で別れを告げたが、その後もピッチ内外でマラドーナは奔放な生き様を見せつけた。

 

 同じアルゼンチン出身の革命家チェ・ゲバラに傾倒し、キューバ革命を主導したフィデル・カストロとも親交が深かったマラドーナ。奇しくもマラドーナが天に召された11月25日は、4年前にカストロが死去した日と同じだった。

 

 過去にはマラドーナと罵り合うこともあったペレだが訃報に際し「いつの日か、あの世で一緒にボールを蹴ることができることを楽しみにしている」とツイートした。

 

 アディオス、マラドーナ。グラシアス、ディエゴ。芸術家であり、革命家でもあった異端児は神のもとへと帰って行った。

下薗昌記(しもぞのまさき)

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下薗昌記の著書

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​田中規子

第96回 グァプルブ Guapuruvu 王冠樹

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 太い幹がすっと真っすぐ伸び、上の方でやわらかな葉を広げている、見るからにスカッとする、グァプルブはいかにもそんな木だ。下枝はなく、幹は滑らかで丸く樹勢も美しい。ボリビア、パラグアイ、ベネズエラ、エクアドル、メキシコまで植生しており、ブラジルではバイア州からサンタカタリーナ州の海岸山脈にみられる。

 この丸く太く真っすぐな幹はインディオがなかをくりぬいてカヌーをつくるのに使っていたそうで、グァプルブという名前はインディオの言葉で船を作る幹という意味だとか。他の一般名にも Canoa de um pau só(1本の木のカヌー)というのがある。特にサンタカタリーナ州、パラナ州では漁師がよくこの木の船をつくっており、牡蠣の養殖で知られるサンタカタリーナ州の湖、Lagoa da Conceiçãoではいまでもグァプルブの小舟を使っている。そして同州の州都フロリアノポリス市のシンボルの木、サンパウロ州ではパライバ渓谷のシンボルとなっている。

 木材としては軽く柔らかいので幹をくりぬくのが容易く、カヌーをつくるのに適している。とはいえカヌー用の最適な太さになるには30年から40年かかる。いまでは絶滅危惧種で伐採できないため、自然倒木で作っている。幹は特徴的な灰色で見るからにこの木でつくったカヌーは美しいのだろう。

 特徴はブラジル原産の木の中で最も成長が早いことである。1年に3m伸びるといい、最終的には20mから30m、幹は直径60㎝~80㎝になる。成長するにつれ下枝は落ちていくため上にしか葉が残らずこのような樹姿になる。日当たりの良い場所に育ち、João-de-barroという泥で巣をつくる鳥は、高く日当たりの良いところを好むためこの木によく巣を作る。荒廃地にもよく成長することから森林再生のための植林に使われることも多い。しかし寿命は長くはなく、40年から50年である。子供の頃にこの木を植えたなら枯れるところを見ることになるのかも。幸いにも?私たちはずっと成長を楽しむことができるだろう。

 花は10月~12月、鮮やかな黄色い花を咲かせ、種子は4月~7月の間に生る。種子は平べったい鞘に入っており、大きめの固く平たい種ができる。堅いのでボタンや最近はバイオジュエリーにも使われる。この堅さのためか自然での発芽率が低く、やすりで外皮を削るか、お湯に10分ほど浸してそのあと2~3日水につけないと発芽しない。

 開花が10月からということで、ブラジル俳句の歳時記では夏の季語になっている。樹頭で大きく鮮やかな花が咲く様が風情があり、「王冠樹」という名前がつけられている。そういえばブラジルの春から夏にかけて黄色い鮮やかな花が多いような気がする。花粉には糖分が多く含まれ養蜂に良く、香りもいい。とはいえ、高い木の上で咲くので実際嗅ぐのは難しそうだ。

 先日アチバイアの公園で種を拾ったのでボタンにもしてみたいし、苗もつくってみたい。カヌーが出来そうなぐらい成長するかどうか気長に農場で確かめてみようか。

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田中規子(たなかのりこ)

岸和田仁の著書

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汚染、感染、伝染のちがいは?

 謹賀新年。このコラムの24人の読者様には是非今年はよい年でありますように! 新語・流行語が「3密」であったように、去年はコロナに振り回された1年でした。この年末年始も感染拡大感染拡大と世間は騒いでいます。そこで気付いたのが、こんなに言われている言葉「感染」ってどういうことか皆わかっているのか?です。コロナ対策でああしろこうしろと呼びかけがありますが、意外となんでやっているのかわからない人が多いようなのです。理由がわかれば行動もしやすくなると思いますので、今回は感染について考えてみましょう。

 もともと「感染」とは微生物が生体内に侵入し、生体内で定着し、増殖し、寄生になった状態を指します。感染イコール疾病ではありません。つまり、生体にとって利点のある感染もあるわけです。

 

『最近注目されている腸活、つまり、善玉の腸内菌を育てるのなんかはおこってうれしい感染だな』

 感染が拡大しているということは、市中に感染の元が沢山出回っているということで、その一部が疾病になるので「大変!」になるわけです。つまり、疾病になるリスクが増えるということで、厳密には、疾病が増えている状況を表す言葉ではないのです。しかし、一定度増えるので、大変になります。

 感染が成立するには「感染源」、「感受性体」、「感染経路」の三要素が必要です。

●感染源:感染の原因となる微生物を含むモノ(微生物そのものではありません)     

●感受性体:感染の原因となる微生物が進入し、増殖する生体

●感染経路:微生物が感染源より感受性体に進入する経路

 これら三要素は「感染の連鎖」と呼ばれ、この連鎖を断ち切ることが感染管理の原則となります。

『コロナ対策の三密を避ける、マスク使用、手洗いは結局感染経路をなくす処置であることがわかる。経路がなくなれば、感染が成立しない』

 

 感染源は大きく分けて2つに考えます。まず感染者や昆虫などを含む感染動物が生産するモノ:排泄物、嘔吐物、血液、唾液、粘液、精液など。次にその感染者や動物が触れた物体や食品、これを汚染物質や汚染物体と呼びます。感染源の中には病原性微生物と呼ばれる病原体が入っています。これらは次の5種類に大きく分類(註1)されます:

●ウイルス:生物学的存在と呼ばれる。ウイルスは細胞を構成単位とせず、自己増殖はできないが、遺伝子を有するという、非生物・生物両方の特性を持っている。例:麻疹ウイルス。

●細菌(バクテリア):細胞膜を持つ原核生物。例:溶連菌。

●カビ(菌類):菌糸と呼ばれる糸状の細胞からなり、胞子によって増殖する菌類のこと。例:真菌(カンジダ菌)。

●原虫:単細胞生物的で、真核細胞であり、細菌類ではなく、菌糸のような構造を持たず、つまり菌類とは思われない微生物。例:マラリア原虫。

●プリオン:タンパク質から成る感染性因子。厳密に言えば生物ではなく、生物の産生物質。

 

 病原体は次の特徴があります。

 ●肉眼や外観から見えない。

 ●発病の責任因子である、つまり病原体が作用していると発症し、作用していないと発症しない。

 ●伝染性がある、つまり病気になったヒトから接触や空気などを介して他のヒトに伝達する。

 ●増殖性がある、つまり伝染によって患者が増え、病原体自体も増える。

 ●可搬性がある、つまり発症しているヒトが移動して、新たな場所で伝染病が発生する。

 

『これらの特徴にも、コロナに対する対策のヒントがいっぱい詰まっていますね』

 

 感染経路は大きく分けて2つあります。まず「垂直感染」。これは母子感染とも呼ばれ、名称のとおり、親が持っている感染症が直接子孫に伝染する状況を指します。例:胎内感染すると先天性疾患を持つ赤ちゃんが生まれる(可能性がある)風疹ウイルス。垂直感染以外のものを「水平感染」と呼びます。非接触型と接触型があり、前者が「飛沫感染」と「空気感染」、後者が「接触感染」と「媒介物感染」になります。

 

●空気感染:病原体を含む直径0.005mm以下の粒子を吸い込み、感染。例:結核、麻疹。

●飛沫感染:病原体を含む直径0.005mm以上の粒子を吸い込み、感染。例:インフルエンザ、新型コロナ。

●接触感染:感染源に直接接触して感染。例:破傷風、梅毒。

●媒介物感染:汚染された水、食品、血液、昆虫などを介して感染。例:黄熱、コレラ。

 

『ここにきて「汚染」と言う言葉がでてきた。つまり、病原体を含有するモノ(や環境)であって、危険な状態ではあるが、汚染自体そのものだけでは感染が成立しないことがわかる』

 

 感染が成立するとどうなるかというと、必ずしも病気になるわけではありません。しかし宿主に病気が生じれば「感染症」と呼ばれるようになります。さらに、宿主に症状が出る場合、「顕性感染」と分類されます。問題は「不顕性感染」です。これは細菌やウイルスなど病原体の感染を受けたにもかかわらず、感染症状を発症していない状態を指します。感染症状は抗体陽性や遅延型過敏反応などで確認できます。一般的には感染が成立しても必ず発症せず、大部分がこの不顕性感染となるのですが、不顕性感染の人はしばしば保菌者(キャリア)となり、病原体を排泄し感染源となる可能性が高いので疫学上問題となります。 

『キャリアはコロナ禍の「無症状感染者」と呼ばれる人達のことだな』

 感受性体は我々ヒトの場合は「免疫機能」を持っているので、病原体が進入しても、必然的に増殖できません。また、ヒトは学習能力があるので、感染の連鎖を断ち切る方法を訓練できるはずです。しかし体力がない高齢者や既往歴のある方が今回のコロナも含め、感染症の犠牲(重症化・重篤化)になりやすいのは、免疫機能が低下しているからです。また、自身で免疫機能を低下することもあります。一番の例が減量ダイエットで、生命を維持するために適切な食事をしないことですね。感染の種類に「日和見感染」がありますが、これは従来病原性が低い病原体が宿主の抵抗力低下に伴い感染症に展開する状況です。感受性体側の我々ヒトは免疫不全にならないように生活する必要があるわけです。

 

『ワクチンは感受性体側の防御力を増す方法だな』

 

 診療所のホームページにブラジル・サンパウロの現状をコメントした文章を記載していますので、併せてご覧いただければ幸いです。

 

註1:これら以外にもありますが、狭義なので、実際はこれら5分類で考えていただいて問題ないです。

 

おまけ

【感染に関係する用語】

汚染:病原体を含有するモノや環境、病原体が侵入する前の状況

感染:一人の宿主が対象、病原体と宿主の関係

伝染:二人の宿主が対象、片方からもう片方に感染。

流行:複数の宿主の間でおける伝染

 


秋山 一誠 (あきやまかずせい)。サンパウロで開業(一般内科、漢方内科、予防医学科)。この連載に関するお問い合わせ、ご意見は hitorigoto@kazusei.med.br までどうぞ。診療所のホームページ www.akiyama.med.br では過去の「開業医のひとりごと」を閲覧いただけます。

ひとりごと
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第18回 イエメン共和国

◆イエメン美女の逃避行

 

「いくつものフェンスを乗り越え、叫びながら過ごす夜もありました」

 

 全身を茶系の長袖服とヒョウ柄のスカートで覆っていても、ヒジャブを取れば間違いなくおしゃれな美女であることを確信できるイエメン人女性ラネーンさん(30歳)。その足には、南米各国の移動の途中で負傷した大小の傷跡が残り、明らかに疲労を感じさせるむくみが見られた(宗教上の理由からラネーンさんの写真は掲載できません)。ラネーンさんは続けた。

 

「闇夜にどこを歩くべきか、何に遭遇するかわからないような農場や木々の合間を通り抜けてきました」

 

 ラネーンさんは婚約者アブドゥルさん(28)と弟ナセルさん(22)の3人で、2020年3月9日にそれまで暮らしていたイエメンのアデンを飛び立った。2015年から続く内戦により、ライフラインは機能しておらず、電気もなく、安全な飲み水もなく、命の安全が保障されなくなったイエメン。コロナ禍はそれに追い打ちをかけている。生き延びるために同国を一時的にでも離れたい人が大半だが、その移動費を確保できないのが一般庶民の現実である。

 

「人権が尊重され、真面目に働き、安心して子どもを産み育てられる未来をのぞめる場所に住むのが今の夢です」

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◆父の亡命先で誕生

 

 ロシアの政治を学ぶ優秀な学生だった父親は、ある政党に反対姿勢を崩さず、やがて戦闘機パイロットとなり、その仲間とのパーティーに参加していた。それが当時のイエメン政府から目をつけられ、死刑の脅迫を受けるようになり、3年間家族でシリアのダマスカスに亡命した。ラネーンさんはその時期にダマスカスで生まれた。その後事態が改善しイエメンに無事戻り、スチュワーデス時代に父親と知り合って結婚した母親は家事に専念し、ラネーンさんを筆頭に1男5女に恵まれ、家族皆で穏やかな生活を送っていた。ラネーンさんは学校で建築学を修めた後、アデン国際空港に務め、婚約者との結婚も控えていた。その矢先の内戦勃発だった。

ナセルさん

 安住の地を求めて2020年3月にイエメンを出国してから、空路エジプト、トルコ、コロンビア、パナマを経由して、6日後に一旦ビザの不要なエクアドルに入国。首都キトで約8か月を過ごした。

「キトは自分の故郷のように感じられる好きな町でした。しかし、生活費が底をつき始め、エクアドル政府もイエメン人を好ましいとは思っていなかったため、新たに安住の地を求めて旅立つことになりました」

 イエメン人が入国するにはビザが必要な国が多く、南米での命がけの旅行が始まった。キトからタクシーと徒歩でリマ、クスコを経由して、ブラジルの国境を越えてリオ・ブランコに到着。そこから飛行機で11月9日にサンパウロに到着した。サンパウロではナセルさんの友人であるイエメン人ヤセル・スライマンさん(37歳、イッブ生まれ)の自宅に約一週間身を寄せることになった。婚約者は途中で別ルートをたどり、ゴイアニアに滞在していた。

「婚約者はブラジルに長く留まることは考えませんでした。家もなく、仕事もなく、生活を始める見通しが持てなかったからです」 

 ラネーンさんとナセルさんは11月16日にサンパウロを発ち、婚約者とゴイアニアで合流し、そこから飛行機でアマパ州に移り、ブラジルとフランス領ギアナの国境を流れるオヤポク川を渡った。ブラジルからフランス領ギアナへの国境越えはボートで10分。その後、イエメンに戻るか他国に渡るか考え直すとのことだった。

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◆ブラジル人ムスリマとの結婚で定住へ

 

 ラネーンさんとナセルさんがサンパウロで世話になったヤセルさんは、2018年7月にブラジルに到着した。内戦による生活状況の悪化を逃れて、イエメンから対岸のジブチを経てエチオピアに渡り、空路ボリビアへ。そこからブラジルに入国し、バスでサンパウロに到着した。すぐに難民申請を行い、半年後には認定された。

 イエメンではサウジアラビアとの間を往復し、様々な商売を行っていた。妻と5人の子供は今もイエメンに残り、時機を見てサンパウロに呼び寄せたいと考えている。

 

 そんなヤセルさんは昨年、ブラジル人女性のムスリマであるハディージャさんと結婚し、10月には息子も誕生した。

「一人暮らしは耐えられません。イスラム教では4人の妻と結婚できます。ブラジルも妻も愛しているし、息子も生まれたし、将来はイエメンとブラジルを往復する生活を送ります」

 

と話すヤセルさん。現在は個人で運転手の仕事をしている。

セルさん

「ブラジルは人が温かいということを聞いて避難先に選びました。確かに人は親切ですが、強盗や泥棒が多いです。去年、ウーバーの運転手をしていた時にはピストルを突き付けられて車を盗まれました」

 ヤセルさんは一日の気温差が大きいことや夕立が激しいことも慣れないといい、公立病院の質が良くないのもサンパウロで問題に感じている。

 

 イエメン人の難民や移民はブラジルには多くないが、モスクなどを通じて知り合ったアラブ人同士のネットワークに助けられている。ラネーンさんとナセルさんが滞在中も、シリア人とサウジアラビア人の友人が集まって、ラネーンさんとハディージャさんがイエメンの羊料理ゾルビアンでもてなし、アラビア語会話でほっと一息つくひと時を過ごした。

「イエメンはアラブ人のルーツの土地です。旧約聖書に登場するアラブ人の祖であるアブラハムの息子イスマエルが誕生しました」

 

と、現在の出身国は違っても同じように戦争を逃れてきた友人を兄弟と呼び合い、和気あいあいとした雰囲気が漂う。

 

 イエメンやアラブ文化に誇りを持つヤセルさんたち。皆ポルトガル語やブラジル生活に慣れるのは日本人と比べて明らかに早く、英語も知っているが、英語は植民地建設者の言葉とドライに割り切っている。

「一番の願いはアラブ世界の戦争がなくなり、平和になること。そして家族が皆で一緒に暮らせることです」

 

とヤセルさんは穏やかに語る。

 

【取材協力】Abdulbaset Jarour

企画/ピンドラーマ編集部

文・写真/おおうらともこ

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(左から)イエメン人のナセルさん、ヤセルさん、シリア人のアブドゥルバセットさん、サウジアラビア人のアフマドさん

難民レポート
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文・写真 おおうらともこ

 ブラジルらしいココを使ったお菓子の数々。その中から今回はポルトガル起源でノルデステに伝わり、アフロ系の人々によってブラジル流に姿を変えたデザート「マンジャール・バイアーノ」を、バイーア州サルヴァドール出身でバイーア料理の講師も務めるルシーさんにご紹介いただきました。

 

【材料】(下の写真左から)

・コンデンスミルク(Nestle)Leite Condensado 1缶 

・クレメ・デ・レイチ(Nestle)Creme de Leite 1缶

・牛乳 Leite 1カップ

・ココナッツ Coco fresco ralado 1カップ(フェイラなどで販売されている削りたての新鮮なもの)

・ココナッツミルク(Sococo)Leite de coco 1瓶

・粉ゼラチン Gelatina em pó 1袋(12g)

・干しプルーンのシロップ漬け Ameixa em calda 1缶

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【作り方】

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①粉ゼラチンを容器に入れ、100mlの熱湯で溶かす。

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②ミキサーにコンデンスミルク、クレメ・デ・レイチ、牛乳、ココナッツミルク、ココナッツ、①を入れて全体が混ざるまで回す(約30秒)。

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③20×20×6.5cmほどの容器やプリン型、もしくは小分けする場合はコップに③を注ぎ入れる。

④冷蔵庫で1時間以上冷やす。

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⑤干しプルーンのシロップ漬けをかけて完成。干しプルーンは半分に切っても良い。

 マンジャールはプリンやゼリーと並ぶブラジルを代表するデザート。インスタントの素も販売されています。ココをたっぷり使うのがノルデステらしく、ルシーさんはココ・ハラードも固いヤシの実に穴を開けて水を抜き、ハンマーでかち割ることから始めました!白い果肉をくりぬき、少量ずつミキサーで細かくしていく手さばきは技ありです。
 

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◆今回の先生◆

ルシーさん Luci Judice

バイーア州サルヴァドール生。

ジャーナリスト、フォトグラファー、料理教室の講師として活動。

日系三世のご主人と結婚し、一児の母、昨年には初孫が誕生。

バイーア料理をはじめ、ブラジル料理教室は日伯援護協会や佛心寺の婦人部などで開催している。

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レシピ
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